みんな時間がない
「時間がない」
みんな、そう言います。
「そんなトークは言い訳にすぎない」というのも、
言い尽くされているくらい世に喧伝されています。
にもかかわらず、みんな事あるごとに「時間がない」と言います。
一方で、こんな会話も耳にします。
「きょう暇?」
「うん、いいよ〜」
時間がないと言っていた、まさにその人が「いいよ〜」と言っています。
いったいどっちなのでしょうか?
前者は「長期的な時間」のことを言っていて、
後者は「短期的な時間」のことを言っているようにも聞こえます。
しかし、こうした切り分けこそが問題のはずです。
なぜなら、時間には「長期的」も「短期的」もなく、
常に冷酷なまでに刻々と過ぎていくからです。
では、同じ人間の頭の中で上記のような切り分けが生まれるのは、
なぜなのでしょうか?
それは、単に「マインド」の差異のように思われます。
つまり、「時間がない」=「やりたくない」ということです。
選択と集中
何かをやろうと思った時に「時間がない」という言葉が頭をよぎるようなら、
まずは「自分は本当にそれをやりたいのか?」を疑ったほうがよいです。
本当にそれをやりたいのなら、
「時間がない」ではなく「いつやろうか」と考えるはずだからです。
誰しも「やりたくないこと」よりも「本当にやりたいこと」に
時間を投下したほうがよいのは言うまでもありません。
この意味で、「何をやるのか」という【選択】がきわめて重要です。
- あれもやれたらいいな
- これもやれたらいいな
こうした受動的な思惑は【選択】ではありません。
キツい言い方をすると、世にある「やりたい」の多くは、じつはこれだと思われます。
【選択】とは、
- (何があろうとも)これをやってみせる!
です。
こうしたマインドを持てる対象を、この地球上から【選択】し、
ここに自分の有限な時間を【集中】させるのです。
すべての出発点はここです。
継続
上に書いた「選択と集中」は出発点です。
ここが最初の分かれ道ですが、これで終わりではありません。
発射したロケットが重力に負けず、大気圏を突破して軌道に乗せれるかどうかは、
その後の【継続】にかかっています。
仮に発射角度に無理があったとしても、
【継続】ができれば、軌道に乗せることは可能です。
いいあんばいの発射角度だったとしても、
【継続】ができなければ、途中で重力に負けてしまい、軌道に乗せることはできません。
そして、この【継続】ができるかどうかも、
上に書いた「選択と集中」の強度に左右されます。
これが2つ目の分かれ道です。
時間は作るもの
以上、「時間がない」と思う人に向けて、
また、自分への叱咤の意味も込めて、書いてみました。
【選択と集中】そして【継続】という2つの観点を書きましたが、
つきつめると、“マインド次第で時間は作ることができる”ということです。
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