可愛い嫁さんをもらった。
可愛い子どもも授かった。
仕事もまずまず順調だ。
このままぬかりなく日々を営めば、人生はまさに安泰だろう。
そんなある日、蔵書のデジタル化を図るべく書棚の棚卸しをしていたところ、
小学校の卒業文集が出てきた。
書棚の奥深くに眠ったままで、ほぼ手に取ることがなかったためか、
受け取ったその日のままみたいにピカピカである。
ぱらぱらページをめくってみる。
懐かしすぎる面々が次から次へと現れ、思わずニヤついてしまう。
自分の作文も出てきた。
まさに「文を作」っていて、先生に向けてしおらしいことを書いている。
終わり近くになって「みんなの夢」を寄せ書き風に書いているページがあらわれた。
思い思いの夢が書き連なる。
いわく、「社長」「野球選手」「宇宙飛行士」「大統領」・・・
「先生」というのは、きっと先生への目配せだ。あいつらしいなあ。
「サラリーマン」が複数あるのは、あらためて考えると、なんだか薄ら寒い。
そして自分の夢。
「ロックスターになって世界に行く」
ははは・・・!
そうだった。
今でこそすっかり落ち着きはらって、一人前の大人みたいな顔をしているが、
自分はその前半生において、長きに渡り大人になれない子どもだったのである。
「世界」という場所があるかのような幼い書きっぷりにはわれながら苦笑をおぼえるが、
あの頃抱いていた熱い想いがにわかによみがえってきて、
気がつくと、笑いは消え、背筋が伸びていた。
人生は安泰?
あの頃の夢がなにひとつ叶っていないというのに?
夢が変わったのか?
たしかに「ロックスター」はもういいだろう。
おのれの技術的成長に自分で見切りをつけたのだ。
だが「世界」のほうはどうだ?
「世界」を知りたくないのか?
まさか、パパであることや、ダンナであることが「世界」だとでもいうのか?
・・・・・・『いや、そんなことはない!』
これがこのブログの発端である。